面白がれたからこその名古屋との縁

明日の「愛プロレス博20周年記念大会」を前に
鈴木健.txt 2026.10.31
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本日10月31日の深夜にはバスに乗って名古屋へ向かいます。11月1日の愛プロレス博20周年記念大会を見届けるためです。

週刊プロレス在籍時は全国を飛び回っていましたが、フリー転身以後は地方へ取材にいく機会がむしろ限られたものとなりました。その中でも、盛岡のようなもとからの関係性に加え新たな縁(えにし)ができて足を運び続ける地もあります。根室、新潟、福岡…今でもそれらの街にいけるとなるとワクワクします。

そして、もっとも多くいっているのが名古屋。フリー以後、地元におけるプロレスシーンは他のプロレスマスコミよりはちょっとだけ近いところから見続けてこられたと思いますし、毎年テッド・タナベさんのお墓参りにいき、以前は中日新聞社のカルチャースクールでプロレス講座をやらせていただきました。

私が週プロ編集部に潜り込んだ1年後の1989年に、FMWが設立されました。旗揚げ戦の地・露橋スポーツセンターは前年に第2次UWFが進出しながら、現場にはいけなかったので遅ればせながらその中へ入れて嬉しかった記憶があります。

スタートの地が名古屋となったのは、大仁田厚選手の対戦相手が誠心会館の青柳政司館長だったため。FMWの旗揚げ戦ではありつつも、実質的にはそちら関係の観客が集まり、地元の英雄として館長は大仁田を破ったわけです。

ちなみにこの旗揚げ戦で空手エキシビションマッチとして、プロレスラーになる前の齋藤彰俊さんがリングにへ上がっています。青柳館長や松永光弘選手といった誠心会館勢が離れた以後も、スタート当初のFMWは東海地区の興行が多く、それで名古屋周辺の会場によく赴きました。

前述の露橋からはじまり半田市民ホール、東海市民体育館、犬山市体育館。名古屋市内も当時はいくつもの施設があり、稲永スポーツセンターでのちの超電戦士バトレンジャーとなる上野幸秀選手の壮行試合を取材し、金山にある名古屋市体育館では初来日時のクリス・ジェリコを見ています。名古屋国際議場のこけら落としもFMWでした。

FMW以外の団体では岡崎、春日井、刈谷、江南、豊田、豊橋、知立など。多団体時代になると名古屋市内の愛知県武道館、中村スポーツセンター、枇杷島スポーツセンター、そしてフリーになりスポルティーバ・エンターテイメントと出逢ったことでZepp Nagoya、ダイアモンドホール、今池ガスホール、ちくさ座を体感できました。

ナゴヤドーム、愛知県体育館や名古屋市総合体育館(レインボーホール、第2&第3競技場をコンプリート!)といった大会場も含め、おそらく関東圏を別とするともっとも多くの会場にいっているのが愛知県と思われます。なので、もともと縁のタネのようなものはあったのでしょう。

プロレスの取材以外でも初めてPOLYSICSのワンマンを見たのは名古屋のクラブクアトロだったり、P-MODELの元メンバー・ことぶき光のバンド・プノンペンモデルのライブも見にいったり。比較的東京から気軽にいける距離にあるので、思い立ったら行動しやすいというのもありました。

その距離がスポルティーバによってさらに縮まったのは確か。今回、改めて調べたところ私が斉藤涼会長と初めてお会いしたのが、まさに愛プロ元年の2006年だったんですね。

第1回開催からさかのぼること7ヵ月前、当時は週プロの全日本プロレス担当だった私。チャンピオン・カーニバルを追跡しており、4月12日に名古屋国際会議場大会がおこなわれました。

そこで当時、全日本へ参戦していたTAKAみちのく選手から「大会後、矢場町にあるスポーツバーでKAIENTAI DOJOのトークイベントをやるので、時間があったら来てよ」と誘われました。ただ、取材後すぐに片づけなければならない作業があり、それを終えて23時頃に向かったところ、すでにイベントは終わっていてファンとの歓談タイムになっていました。

K-DOJOのイベントでありながら、TAKA選手とのROD(当時、全日本で暴れ回っていたユニット)つながりでメンバーの太陽ケア、ディーロ・ブラウン、ブキャナン、マット・モーガンが顔を出しており、そうそうたるプロレスラーたちの中へ紛れ込んで地元のローカルドインディーレスラーとしてプチブレイク中のマンモス半田もいて、面白がられておりました。

その場のノリで「RODの皆さんもマンモス半田の決めポーズである“マンモス・マンモス・パオーン!”をやってください。写真を押さえて『マンモス半田、ROD入り!』と飛ばすので」と煽ったところ、ここでも面白がって応じてくれたのですが、証拠物件の中へ何食わぬ顔で入ったのが、なぜかマスクマン姿の斉藤会長。「一般人なのに覆面を被っているなんて、けったいな人やなあ」が、正直な第一印象でした。

20年前の愛プロレス博初開催からさかのぼること7ヵ月前、RODのメンバーと戯れるマン半と斉藤会長(右)。この時、すでに愛プロの歴史は始まっていた!?

20年前の愛プロレス博初開催からさかのぼること7ヵ月前、RODのメンバーと戯れるマン半と斉藤会長(右)。この時、すでに愛プロの歴史は始まっていた!?

ただ、そこで話した時に「何か面白いことを名古屋でやりたいと思うんで、ぜひご協力ください」と言われたのが、ずっと頭の中に残ったんですよね。実際、その7ヵ月後に地元で独自の興行を形にし、2年後には現在の鶴舞へバーを移転させ、そこを拠点にプロレス団体までスタートさせた。

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