矢野啓太はジョン・ケージの「4分33秒」を入場曲に使ったのか
9月19日、本日は夕方より闘道館イベントがあるため、昼の天龍プロジェクト新木場1stRING大会にそれ用の機材を持っていき、終了後に向かうという行程。ミニシンセが2台入っているオレンジ色の巨大キャリーケースを引きずり現れた私を見て、嶋田紋奈代表が「家出してきたの!?」と突っ込む。言われて当然のデカさなのだ。
この日のメインは王者・矢野啓太vs挑戦者・望月成晃のインターナショナルジュニアヘビー級選手権試合。DRAGONGATEの望月成晃が武輝道場時代にWARのリングへ上がり、同ベルトを初戴冠したのは1999年3月1日のこと(当時はWAR認定の名称がついていた)。その後3度獲得しており、計4度は最多戴冠回数記録として残っている。
一度は自らの手で封印したが、天龍プロジェクト旗揚げにより復活すると横須賀享、谷嵜なおきとの王座決定3WAYマッチを制し、第15代王者へ。初戴冠の11代以後は13、14、15と3代連続で(返上や封印→復活により)望月の名前が王座変遷史に刻まれている。
つまり、このタイトルの歴史は望月の歴史といってもいい。ただ、最後にベルトを持っていたのは2010年6月9日(タイガーシャークに敗れ手放す)で、天龍源一郎引退後の再始動天龍プロジェクトではかかわっていない。
2021年の再始動後の天龍プロジェクトをけん引してきた一人が現王者の矢野であり、違う時代に名を刻んだ者が時空を超えてタイトルマッチをおこなうというシチュエーションが訪れた。勝てば16年3ヵ月ぶりの王座奪還となる望月。初めてベルトを巻いた時より数えると、27年6ヵ月もの歳月が経過しながらこうして導かれるのだから、プロレスは本当に大河ドラマである。
キャリアのスタートこそインディペンデントだったものの、DRAGONGATEの前身である闘龍門JAPANでスタープレイヤーとなり、56歳となった現在でもコンディションを維持し新陳代謝の激しい団体内で主力の一角を担い続けている望月。それに対し矢野は、長きにわたりアンダーグラウンドの活動を続け、プロレスリングを求道しながらも陽の目が当たらぬ道を長くさまよってきた。
天龍プロジェクトにたどりついたことで、その世界観が認知され“キング・オブ・テンループロジェクト”を自ら名乗り、それが支持されている。昨年のザック・セイバーJrとのシングルマッチも「よくぞここまで…」と感慨を持てたが、この望月戦も真逆のようなプロレスラー人生を歩んできた中で本人も想定していなかった顔合わせが現実のものとなるわけだ。
この一戦に矢野は無音の中、入場してきた。最初は音響トラブルで曲が鳴らなかったのかと思ったが、姿を現したチャンピオンの様子を見た限り、それがアクシデントという感はない。

1995年から歴史を刻んできたインターナショナルジュニアヘビー級のベルトとともに無音の中、入場する矢野
おそらく意図して曲を流さずに入ってきたのだろう。矢野は常にGO!GO!7188の「C7」をエントランステーマに使用している。そこに、ここぞという試合の時はブルーザー・ブロディのようにベートーヴェンの交響曲第5番「運命」をイントロとして加えるが、私が見た範囲では無音の中の入場はかつてなかった。
矢野はレスリングに関してもパフォーマンスも常に何かしらの意味合いを持たせる。C7は単純に好きな曲であることと、2番の歌詞の世界観が自分のフィーリングに合っているためデビュー時からこだわりを持って使い続けてきた。
そんな矢野がほかの曲を使うどころか無音というのは…これは、その狙いをやすやすと本人に聞いてすぐ答えを出すより、自分なりに考えてみてくださいと投げかけられたように思えた。
無音を入場テーマに使うプロレスラーとしては、DJニラがいる。彼も他者には伝わりづらい意味を一つひとつに持たせ、リング上で作品をクリエイトするアーティストだ。
ニラの場合は「特定の曲を流すのではなく、その時、その場で聞こえる音そのものが自分の入場曲」という意図でそうしている。これと同じ思想で、まさに無音の曲として作品化したのが前衛音楽の巨匠、ジョン・ケージだ。
ケージはピアノの前に鍵盤を弾くことなく4分33秒間、ただ座る。それで「4分33秒」という曲名の音楽が成立する。以下はウィキペディアの説明。
楽譜では4分33秒という演奏時間が決められているが、演奏者が出す音響の指示がない。そのため演奏者は音を出さず、聴衆はその場に起きる音を聴く。演奏者がコントロールをして生み出す音はないが、演奏場所の内外で偶然に起きる音、聴衆自身が立てる音などの意図しない音は存在する。沈黙とは無音ではなく「意図しない音が起きている状態」を指し、楽音と非楽音には違いがないというケージの主張が表れている。
ニラがケージを知った上でやっているのかはわからない。むしろ知らずにその発想をプロレスに持ち込んだのだとしたら、それはそれですごいシンクロニシティーだ。
そして、矢野もケージを知っているのか、今の時点では不明である。
ただ、一つ言えるのは曲が鳴らないというイレギュラーな空間になったこと、それだけでその場にいる者たちの意識がすべて矢野に向けられた。唯一、コーナーで不動のままにいた望月だけがこの世界観に飲み込まれなかった。

矢野が入場してくるまで、コーナーで不動のままそれを待つ望月
ゴング前の一シーンではあったが、このせめぎ合いにはハッキリ言ってシビレた。イニシアチブの獲り合いとも言えるプロレスにおいて、こういう攻防の描き方があるのかと思った。
結果的に矢野は望月に敗れた。自身の世界観を試合でも構築したが、望月が持ち得る“歴史”という武器にやられた。

初対戦だけに矢野の描くレスリングが読めず苦戦を強いられた望月。天龍プロジェクト再始動前までは考えもつかなかった世界線が現実に
スリーカウントを奪った技・ツイスター(旋回式垂直落下ブレーンバスター)は望月の代表的な技として知られるが、これを初めて使ったのが26年前のインターナショナルジュニアヘビー級王座初奪取の試合だった。

26年前、このベルトを獲るために開発した技で5度目の戴冠
矢野も、望月がそうした歴史を武器にしてくることはわかっていたはず。だからこそ、それを凌駕するための何かが無音の入場にこめられたのだと思えてならない。
今後、その真意を聞くかどうかは自分でもわからない。聞いて答えを知った方がいいのか、それとも答えを追求し続ける行程の方がより尊いのか。すべてはタイミングとめぐり合わせなのだろう。

望月とIJシングルのベルトが紡いできた歴史の前に敗れたキング・オブ・テンループロジェクト。その胸中に去来したのは…

天龍率いるWARのリングでシングルのベルトを初めて巻いた望月が令和の時代も天龍とともに
そんな矢野vs望月戦の余韻を引きずりながら、大会終了後すぐに巣鴨へ移動。9月~11月はGLEAT月間と銘打ち、エル・リンダマン、渡辺壮馬、石田凱士の3選手に出演いただく。その一発目は現在、団体最高峰のタイトル・G-REX王者のリンダマンしか考えられなかった。

チャンピオンらしい振る舞いを意識しスーツ姿でイベントへ出演
私の中でエル・リンダマンは実に洞察力に長けた人物という印象が強かった。それは日々の発言やインタビュー取材を通じ実際に接する中で感じていたことだ。