80年代後半から現在までの水道橋食文化史
全日本プロレス10・22後楽園大会終了後、気の置けぬ仲間との晩ご飯に流れた。この2週間ほどは“奇跡業”に専念し続けたため、まともな食事をしていなかった気がする。時間がない時は、だいたいNOSHなどの冷凍弁当かBASE YAKISOBAで済ませている。
思えば、後楽園での試合後に水道橋界隈を歩くのも久しぶり。かつてベースボール・マガジン社在籍時代は、住んでいる場所よりも長くいた街だが、あれから38年も経てば今も続く店を数えた方が早い。
それほど街の変化というのは都会であるほどに速いものだ。西口改札を出て東京ドームシティとは反対側となる左に曲がり、すぐ横道へ入ったあたりは現在飲食街になっているが、そこからさらに歩を進め旧・闘魂ショップ周辺までいくと当時は開発されていなかった。
今では神保町方面に出るメインの通り沿いだけでなく、そのあたりにも飲み屋や飲食店が立ち並び、一時期はニコニコプロレスチャンネルのスタジオと有明を出たプロレスリング・ノアが向かいのビルへ間借りしてご近所さんだった。80年代後半から90年代の情景を思い起こすと、この一帯が人で賑わうようになるとは…とじんわりくる。
週刊プロレスへ潜り込んだ当時は、そこに「キッチンジロー」があった。トンカツやハンバーグ、白身魚フライ、そしてなんといってもネーミングの響きがそそる帆立ミルクコロッケなどの盛り合わせがものすごいご馳走に感じられ、豚汁が揚げ物によく合った。入りたての頃は大袈裟でなく毎日のように通ったため、先輩の布施鋼治さんから「そんなに喜べるのが羨ましいよ」と言われた。要はもう何十回といっているため、飽きていたのだ。
ランチを食べるならキッチンジローか、今もその筋の間では知られる店舗の「餃子の王将」水道橋店のいずれかしかなかった。あとは改札を出てすぐのマクドナルド。現在、1FがファミリーマートでB1Fが「はなまるうどん」の入ったビルが、週プロを陰で支えてくれたラドンサウナアスカだったのだが、隣の細いスペースに「中華たかの」(現在は「しんぱち食堂」)があり、たまに利用していた。

80年代から現在まで変わらず三崎町へ君臨する王将水道橋店
昼はそれでも選択肢があった方。問題は夜中である。今ほどコンビニエンスストアもなく、吉野家へ買い出しにいくとなると反対口の白山通りまでいかなければならない。唯一、深夜に営業していたのがマックの向かいに存在した「富士そば」だ。