9月11日という日に関する2、3の事柄
9月10日は一日自宅作業。阿部史典インタビューは、かなりカロリー高めです。アップされるまでは、代わりといってはなんですがこちらをご覧ください。
このtheLetterが配信されるのは翌11日になるわけですが、個人的にいろいろと思い当たる日となります。その発端となったのが1985年の旧(第1次)UWFラストマッチ。
前年旗揚げのUWFはテレビ放送がなかった分、ライブでなければ見られないという点からハマっていきました。当時の私は一浪中。
まだUWFスタイルが確立される前の旗揚げシリーズ最終戦の蔵前国技館は、東京スポーツ紙のチケットプレゼントに応募すると当たったので、じゃあいこうかという程度。当時、前田日明選手のファンだったこともありました。
その前田選手が元タイガーマスクのスーパー・タイガー選手と一騎打ちをおこなうということで「これは見なければ!」と思い立ち、チケットを買っていったのは5ヵ月後の9月11日におこなわれた「UWF 実力No.1決定戦」。この一戦に衝撃を受け、UWFを追いかけるようになったのです。
といっても、週刊プロレスで記事を貪るように読むところまで。浪人生の財力では、ひんぱんに足を運ぶのは難しかった。そんな中、1985年7月25日の大田区体育館にて「第1回公式リーグ戦」でスーパー・タイガーvs前田戦が組まれたとあり、見にいきました。
開始前に差し込む西日と、うだるような暑さばかり記憶に残っているのですが、今思うと自分にとっての旧UWFはタイガーvs前田戦だったんだなと気づきます。しかしながらそれ以後、UWFのネガティブな情報が誌面を賑わせ始め、例の大阪臨海スポーツセンターにおける“急所事件”によって前田選手は欠場。なんとなく「もしかするとこれが最後になるかも…」という胸騒ぎから、第2回公式リーグ戦最終戦の後楽園大会に当日券で飛び込んだのです。
2年続けての9・11後楽園。南側最後部の一番西側に立って、メインのタイガーvs藤原喜明戦を見つめました。今、そのエリアは写真撮影時の仕事スペースとなっているわけですが、あの時点ではプロレス界に飛び込むなど想像もしておらず。努めてポジティブな形で終わらせようとする組長のマイクを聞き、逆にUWFはここまでなんだなという現実を見た気がしたのです。

1985年の“9・11”を報じる週刊プロレス
実際に旧UWFは活動停止となり、翌年から新日本プロレスへ「カムバックサーモン」(古舘伊知郎語録)していくわけですが、十代の頃のけっこう大きな出来事として“9・11”というのは強く刻まれました。