またしてもプロレスマスコミとしてあるまじき行為を
8月30日はDDT・佐藤大地のKO-D無差別級王座初挑戦に後ろ髪を引かれつつ、朝から湘南台へと向かう。この日は地域密着の活動を続けているちがさきプロレスの10周年記念大会。その場内コメンタリーを仰せつかった。
きっかけは2025年2月。毎年年末にプロレス好きの皆さんが用賀の市屋苑(私の生き別れの兄こと元UWFインターナショナル取締役・鈴木健さんの店)に集い、忘年会をおこなってきた。
私はその会を牛耳る人物であるマサ川島さん(札幌・プロレスショップ「リングパレス」の元スタッフであり、テクノユニット「TECHNOPALACE」を私とやっている方)と知り合いということで混ぜてもらう。2024年末はみんなのスケジュールが合わず、翌年に新年会として集まろうとなった。
その時、初めて来られたのがちがさきプロレスを主宰しているプロレスラーの戸田秀雄さん。鶴見五郎さんがやっていた国際プロレスプロモーションの試合結果などで名前を見ていた記憶はあったが、お会いするのはその時が初めてだった。
なぜ戸田さんがやってきたのかというと、その川島会(仮)の常連メンバーである林直樹さんがちがさきプロレスをいたく気に入っており、数年前より「健さんも見に来てください!」と市屋苑名物ネックチーズのチーズが溶けて鶏肉からしたたり落ちてしまうほどの熱量で誘われていた。私がなかなか重い腰をあげぬと見て、シビレを切らし主宰者を担ぎ出したのだろう。
というのは一方的な偏見で、以前から戸田さんは市屋苑によく来られていたらしい。私と同じ昭和41年生まれ(丙午)とあり話が盛り上がり、林さんの描いていた通りごく自然に「次回のちがさきプロレスの取材にいきます」となった。

2人の鈴木健にはさまれたちがさきプロレスの戸田秀雄代表
それまでも頑なに拒否し続けていたわけではなく、ほかの何かと重なっていただけであり基本、私はなんでも見たいタイプ。戸田さんとお逢いしたことがそのいいタイミングとなったのだろう。かくして1カ月後の3月2日に、初めてちがさきプロレスを観戦させていただいいた。
そこで見たのは、地元の皆さんにとってハレの場としてのプロレス興行。東京近圏にありながら地方興行のぬくもりが感じられるもので、サイドストーリーや選手の知識などがなくても楽しめる大衆娯楽として受け入れられていた。
すこぶる感銘を受けた私はその月のニコニコプロレスチャンネル「マンスリーニコプロ」でリポート。そのさい、写真を提供していただいたのが林さんだった。林さんは本業を持ちながらプロ並みのショットを押さえる方で、毎年“イッテンヨン”にも足を運んでいることからそのさいも画像をご提供いただき、マンニコで使用させていただいた。私が四の五の言うよりも、実際に作品を見ていただけたら伝わると思われる。

棚橋弘至の引退試合でレインメーカーが決まった瞬間だけでなく、直後のオカダ・カズチカの躍動感もしっかり押さえている

棚橋の入場シーンを見つめる観衆の高揚感も伝わる角度から撮影したもの。この絵はおそらく他のマスコミ媒体にはなかったはず
そんな経緯でちがさきプロレスとの縁ができた中、今年2月の新年会にも戸田さんが来られ「次の3月もまたいきます」と伝えたところ「せっかく来られるんであれば、場内実況をお願いしてもよろしいでしょうか?」と打診される。もちろん喜んで!と二つ返事だったが、ちがさきプロレス及び別ブランド的位置づけの西湘(せいしょう)プロレスはラジオパーソナリティとして地元で活動するおいどんさんという方が長きにわたり実況を務めてきた。
その世界観を崩すわけにはいかないので、あくまでもコメンテーターという形であればと提案。要はおいどんさんのダベり相手となり、それによって実況をスムーズに進める役どころだ。
だいたい、その時点でまだ1度しか見ていない輩が知ったような顔で解説だ実況などといってドヤ顔するなど「素人はすっこんでろ」というオハナシなのだ。それでも地元の皆さんに楽しんでもらえればと、1年ぶりに茅ヶ崎市体育館を訪れた。
コメンタリー自体は、ソツなくやれたと思う。「なんか見かけねえ野郎がベラベラ喋って、おいどんさんの邪魔をしとったな。誰やあいつは! あんな訳のわからんやつの話を聞きながら見たくないわ。こうなったら、もう二度とちがさきプロレスはいかへんからな!」(なぜか関西弁)といった声も届いていなかった…はずだ。
それはそれでよかったのだが…実はこの日、私は37年に及ぶプロレスマスコミ生活の中で初めてあるまじき行為を働いてしまった。以下が、そのポストだ。