追憶のスコアブック――映画『蔦監督』
先日見にいった『無敵なチカラ』が上映された新宿K’sシネマのロビーに貼られていたポスターの中に「こ、これは!」となったものがありました。徳島の強豪校・池田高校を甲子園に導いた名将・蔦文也監督のドキュメンタリー映画です。

『蔦監督 高校野球を変えた男の真実』――最初は「へぇー、そんな映画ができたんだ」と思いつつ近日中に見ようと思ったのですが、あとで調べると最近のものではなく10年前、すでに公開されていたリバイバル作でした。しかも、チケットを購入しようとウェブサイトに飛んだところ「本作品は諸事情により無料上映となっております」とあり、???となりました。
10周年ということでの再上映らしく、7月25日~31日と1週間限定公開で、しかも毎日朝10時からの一度のみ。見たい人は当日、会場へ来て整理券をもらうとあります。個人の上映会ならともかく、新宿の正式なシアターでやるのに無料というのは驚きました。
予約受付もないため28日朝、早起きしてK’sシネマへ向かいました。整理券配布開始時間である9時40分よりも10分前に着くと、3階の映画館までいくエレベーターが動いておらず、階段で昇り扉前で待機するよう表示されていました。つまり、まだ開館前だったということです。
平日とあって、整理券は問題なくゲット。そこからの2時間ほどは、まるでタイムマシンに乗ったかのようでした。聞き覚えのある蔦監督の声(もちろんテレビを通じてですが)、独特のイントネーション、歌詞まで頭の中に残っている池田高校の校歌。
母校でもないのに校歌を憶えてしまうのは、高校野球ファンあるあるでしょう。池田、PL学園、高知商業、桜美林は特にメモリーされています。
小中学生時代、春夏の甲子園大会中はほぼ全試合テレビで見ていました。しかもただ勝負の行方を追うのではなく、スコアブックをつけながら。子どもの見方としてはいささか変わっていたと思われます。
きっかけは、ちばあきお先生の名作野球漫画『キャプテン』の単行本を欠かさず買っていたのですが、その中に「おい、スコアブックを見せてくれ」というセリフが出てきます。最初は、その名称通りスコア…つまりはスコアボードのように点数をつけるものだと思っていました。
青葉学院621000000 9
墨谷二中000030034X 10
こういう感じで(このスコアを見てピンと来る方はキャプテンマニア)ただただ書いていくものだと思い、記録を残すにはいいかなと近くのスポーツ店まで買いにいったのです。ところが、中を開いてみると思っていたのとはまったく違う。
得点だけでなく、それこそ1球ごとにすべての展開を記していくのがスコアブックでした。でもせっかく買ったのだからと、その日より高校野球の試合を対象に始めてみたのです。
なぜ高校野球だったのかというと、プロ野球はプレイボールから放送されなかったし、ゲームセットまで中継に入るとも限らないから。高校野球はNHKが全試合完全中継していたため、スコアブックを記す上で“抜け”が生じずに済んだのです。
番組構成上、プレイボールから少し遅れて中継がスタートする時はそれよりも数分早く始まるラジオを聴いて第1球から記しました。選手の名前も最初は苗字だけだったのが、フルネームを調べて書くようになります。そうしたデータを調べる上で役に立ったのが、1978年創刊で現在も発刊されている『報知高校野球』でした。
小学生の頃は、夏休み期間中に親の実家・福島(父方の猪苗代と母方の会津若松)へ帰省し、朝から晩までテレビの前で動かずスコアブックをつけていました。親戚筋が集まってくると「健坊はまたそれか。なんのためにやってんだ?」と、呆れたかのように言われたものです。
私が高校野球を見始めたのが1975年のセンバツで、原貢&辰徳父子の東海大相模リアルタイム世代。なぜハマったのかというと、たまたま見た開幕戦第1試合の倉敷工業vs中京が16-15の大打撃戦となり、それで「野球っておもしれー!」となったのでした。スコアボードを書き出しただけで伝わると思われます。
スコアブックをつけ始めたのは、その2年後の1977年の夏からだったと記憶しています。“バンビ”こと東邦の1年生エース・坂本佳一が決勝戦で東洋大姫路のキャプテン・安井浩二にサヨナラスリーランを打たれ、敗れた年です。
牛島和彦&ドカベン・香川伸行の浪商コンビ、右脚を高々とハネ上げるダイナミックなピッチングフォームで“東北の星飛雄馬”の異名をほしいままにしながら、1回戦で箕島相手に“スミイチ”で負けた能代の高松直志投手は、今でも私にとってのヒーローであり、伝説の箕島vs星稜延長18回の死闘が描くただならぬ緊迫感を味わえただけで、恵まれた人生だと言えます。そんな時代にテレビへかじりついていましたから、蔦監督率いる池田の試合はプロ野球よりも多く見ているわけです。