令和のTHE WORLD OF MA TICARICA
8月1日は立花ハジメのライブを見るために代官山UNITへ。駅に着くやスコールが降ってきて足止めを食らうも10分ほどでやみ、急いで会場へ。
UNITに来るのは今回が初めて。けっこうその筋のライブをやっていなから縁はなかったのだが、やはりつないでくれたのはその筋の人だった。
立花ハジメはYMOのお三方やP-MODELの平沢進と並び、私の人生というか文化的バックボーンに多大なる影響を与えていただいた方である。高校時、プラスチックスのファンになったもののすでに解散していたのだが、メンバーの一人であった立花ハジメのソロ活動を追うようになった。
3枚目のアルバム『Mr. Techie & Miss Kipple』のインダストリアルな世界観がカッコよく、グラフィックデザイナーでもあるので何をやってもヴィジュアルインパクトありまくり。アルプス1号~3号という自作楽器まで作ってしまうセンスにもあこがれた。

これが現代アートと音楽が融合した自作楽器、アルプス1号(立花ハジメ展で撮影)
1枚目の『H』と2枚目の『Hm』はサックスを中心としたランチタイムミュージックだったのが、この3枚目で機械的になり、それをさらに極めたのが4枚目の『TAIYO SUN』。ここで立花ハジメはヴィデオアーティストユニット・RADICAL TVとの「LIVE TAIYO SUN」でとんでもないステージを繰り広げる。
1985年9月21日(2DAYSだったのでもしかすると20日の方かも)、当時あったラフォーレミュージアム赤坂の中へ入ると、目の前にはおびただしい数のモニター(当時はブラウン管テレビ)が不規則に積み上げられて、アルプスシリーズも鎮座。ブレードランナーの世界観をステージングした中で、サンプリングマシンのイミュレーターを打楽器のように使いながらダンスを踊る立花ハジメ。アルプス1号はスティックで叩くと「ガン!ガン!」と工場音のようなサウンドが鳴るシロモノだった(以下は当時、お茶の間でも流れた川崎製鉄のCM。冒頭に出てくる自動ドラムはアルプス3号)。
モニターにはRADICAL TVの原田大三郎がフェアライトCVIを駆使し即興で映像エフェクトをかけたヴィデオが縦横無尽に流され、もう一人のメンバー・庄野晴彦がヴィデオソースとライブ映像をスイッチングする。
それまではYMOのステージが自分にとっての“最高”だったが、まったく違うアプローチでテクノを極めたこのライブに19歳の自分は圧倒された。ある人は「1985年の一番カッコよかった日本人は立花ハジメ」と言い、細野晴臣さんはそのステージを見て「立花ハジメはYMOを超えた」とサブカル誌だった頃の『宝島』でコメントしていた。
よく頭の中で「タイムマシンがあったらどのライブをもう一度見たいか」と絵空事をするのだが、坂本龍一の「MEDIA BAHN LIVE」とP-MODELの「BIG BODY TOUR」とともに、この赤坂ライブを何度となく回想する。それほどまでに、自分の人生の中でも強烈に刻まれたのが立花ハジメのライブだった。